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「彼」の背中を見て

僕には一人の息子がいる。 来年から小学生。ランドセルや勉強机などを買いそろえている。 保育士である僕の母から言われていたのは、 「男手」というのは、幼少期、だいたいでいうと、 おむつを替えたりしなくてはならない時期には、父親の存在は 極端にいうと必要がないという。 つまり、男は、仕事でしこたま残業をし、 稼いでおむつ代を稼いで来い、と言われていたようなものだ。 ただし、よく言われるセオリーとして、 3歳までに人のアイデンティティは、 どこに向かうのか、ということは決められてしまうと知っていた。 明るい子に育つのか、その逆なのか、ということは、仕事より重要なことだ。 幸運なことに、僕の息子は、人に対して優しい子どもになった。 疲れて突然泣き出すのではなく、ゆっくりと眠ってしまう。 電車に乗っても、外食をしても、自然にふるまう。 子どもが生まれた時は、誰でも不安を覚えるように、 僕も父親として何ができるのか、未曾有だった。 しかし、僕の中で一つだけ、 小学生になるまでの彼に対する解釈があった。 それは、彼をエリートにしようと一切思わないようにすることだった。 何も教え込まない。つまり、勉強をさせない。 僕が親から幼少期に通されただろう、 水泳、書道、公文、算盤、ピアノ。 一つも彼に与えなかった。 そのかわりに、 僕は自分が仕事をしている現場、 つまり、撮影している僕を見せ、 ディレクターや記者との食事に彼を誘った。 また、田畑と山岳が広がり、有明海と玄界灘に面し、 清流が流れる佐賀の自然に触れさせ、海や川で、泳ぐという意味を感じてもらった。 一方で、刻々とグローバル化する都市、福岡に毎週行って、 ビルの中を散歩し、空港に行き、博多駅に行き、 また、港湾に留まる巨大クルーズ船を見せ、 今の家と外国、そして、都市が近いことを知ってもらった。 夜の7時になると、必ずニュース7を一緒に見る。 僕は難民や戦争の話、世界と国内情勢を解説するようにしている。 6歳の子どもにニュースの話をするのは難しい。 だが、少なくとも彼は、 日本という国が恵まれていることに気づいているし、 ロヒンジャやシリア、中米の難民に思いをはせている。 うちには山のような絵本がある。 しかし、僕は本の世界より