コロナウィルスがまんえんしようと、学校が休校になろうと、
僕たちの生活は楽しい、そのように感じることができる今です。
先週、僕はじっとパソコンの数字にかじりついて、
それに対してたいくつしている息子に、
「ごめんね、今、お父さんは時代を見ている、あとで説明するからね。」
と言っていました。日本だけでなく、世界が元気を失い、
僕自身、生まれて初めて見る数字に、とても踊らされました。
それに対して、息子は、
「コロナウィルスってペストみたいなもんだね。
だから、野口英世ってえらいんだね。」
と言ってきました。
その言葉に、とても勇気づけられました。
というよりむしろ、その言葉は、彼に寄り添う僕たちに
確かに未来があることの証拠だと感じました。
子どものリスクを支えるのは、僕たちの仕事だと思っていたのに、
彼がニュースを直視して、今をまさに読んでいます。
人々の不安という直観に、あえて7歳の彼は、
それを学びとして、記憶しています。
最近僕たち夫婦は、ある共通点を見出しました。
それは、二人とも、まともに塾に通ったことがない、というものです。
確かにそれが、時にネガティブに会話を誘導することもあります。
これから彼を塾に通わせることができないんじゃないか、とも話します。
それでも、彼が「今を感じる」という力は、
僕たちがおぎなえない素直さを愚直に感じさせます。
今を感じるには、パターンとして見る力ではおぎなえないからです。
僕は、今日のリスクに対して、楽観的にみています。
そのリスクをおぎなうために、日本企業は、内部留保を続けてきました。
就業する人たちには、これだけ株価が上がっているのに、
給与が上がらない現実に辟易している人もいると思います。
しかし、日本は、世界の市場において、特異な動きを見せています。
それは、東日本大震災を経ているからです。
リスクをいつかは負う時が来ると身構えていたからこそ、
日本は今、致命的な状況ではないと断定できます。
今は、何でもない日常が美しいように僕は思います。
しかし、今を生きる子どもが、
将来日本を変えていき、になうと、
信じることができる、
少なくとも僕たちはそう感じています。
皆さんにとって、子どもがいてもいなくても、
今が永遠に続くものではなく、
尊い一瞬だと、思えることが出来ますように。
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