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妻と息子の現況と宮台真司さんについて

皆さんこんにちは。

ここ九州も寒くなってきて
ダウンが必要になってきました。
ぜひ皆さまにおかれては体調を一番に
暖かくお過ごしください。

さて、今回は昨今の私たちの近況をと思い
長文になると思ったので
ブログを使っています。

今日は妻と息子の近況、それも
リアルな現況が伝われば
うれしいなと思っています。


「妻の近況について。」

過去何度もアナウンスしてきたのは
要は私たちがいつアクションを起こすのか
であり
私たちは過去
残念ながら
何もアクションを起こすことができなかった
事実があるのみです。

この事実には学びが必要でした。
僕たちの経験から言えるのは
SPIができないと
就職活動は厳しいということです。
蛇足ですが、
実は僕自身が人生の中で
SPIの勉強をすることなく
一部上場の会社などに入ったものですから
SPIが妻のキャリアにこれほど必要なのに
気付かなかった自分の経験値の低さを
思い知らされています。

しかし、
そうこうしているうちに
妻の職務経歴は
NHKは4年目に入り
年齢もまだ34歳、さらに子は小学4年生
さらに三井住友海上での経験も買われて
満を持しているように見えます。

すでに、10月には大手某社との一次面接は成功し
現在SPIの勉強に日々追われています。

SPI、つまり、
妻がSPIを受けているということは
大手を中心にということです。

まだ結果が出ていませんので
具体的なことは何もいえませんが
皆さんにサプライズを起こせる日が来るのを
僕も含め期待しています。


「息子(小学4年生について。」

言えることは
彼自身が自分のキャリア
について話すようになった、
というよりも
佐賀県佐賀市久保田町は
天国ではないと気づき始めています。

僕の母校でもある久保田町の
小学校に入れた理由を述べると
実は先日大学のキャンパスで
刺された宮台真司さんの著書が
影響しています。
宮台さんは幼少を京都で過ごされ
いわゆる公立小学校の出身です。
逸話では京都では
いわゆるやくざさんのお子さんも
クラスメートにはいらっしゃって
そういう中で誰もが平等に
考え感じ助け合う姿を学ばれたそうです。

久保田町の小学校は
幸運にも
僕の経験上知っていたのは
あらけずりで這い上がる
気合が必要な学校だということでした。
息子はリアルに
宮台真司さんの世界にいると言えます。
本当に毎日が殴り合うのけんか、
意味不明な言いがかり、
無駄な校則、
4年間過ごしたここ久保田町の
輝かしい毎日でした。
彼はそれでも友だちを思い
勉強を教え助け合っています。

一方ですでに中学校を
どうするのか
例えばそのまま地元の
中学にいくと
やりたい部活がないなど
という事実は響くようで
その保険として
小学3年生から
中学受験講座を受けています。

こちらの結果はまだまだ先ですが
それこそまだまだ環境の整っていない
場で励んでいますので
それも妻のサプライズ次第です。

以上長くなりましたが
私たちの状況でした。
東京にはコロナ禍から
一度も足を踏み入れていない
という一家で浦島太郎状態です。
その代わり車で色々と
旅行を楽しんでいます。
思った以上に全員元気ですので
この春以降
皆様に妻と息子の顔を見せれれば
嬉しいなと思います。

ではまた何か動きがあればSNSで
発信します。
今後もよろしくお願いします!








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